【インタビュー】丸山 園美さん
循環器内科の臨床で忙しく充実していた日々を過ごしておられたようですが、そこから基礎研究、留学とキャリアの転機があったようですね。少し詳しく教えていただけますか?
2001年に順天堂大学医学部を卒業して内科3年、その後循環器内科を専攻して臨床に忙しくしており本当に医師になってよかったと感じていました。そうやって6年間働いていた時にはたと気になって立ち止まることがあったのです。診断から治療という臨床業務の流れはわかってきました。しかし、今この患者さんの体の中でいったい何が起こっているんだろう?この診断ならこの薬、でもなぜそのように使い分けなければいけないのだろうって気になりだしたのです。私は基礎医学が理解できていないのだと痛切に感じました。そして大学院に進む決心をしました。順天堂大学の循環器教室から名古屋大学へ国内留学の形をとりました。そこで循環器疾患を分子生物学的アプローチで研究するべく、アディポネクチンのノックアウトマウスを使って実験をする日々が始まりました。そして大学院が終了し順天堂大学病院に帰る時期になると医局の先生方から留学の可能性を検討してみては、というありがたい提案がありました。循環器の基礎研究で著名なKen Walsh先生のところに留学したいと思ったのですが、研究助成金を自分で探してきたら来てもいいという事でした。幸運なことにバイエル/心臓病財団から助成金を得ることができてボストン大学に留学することになりました。
そして留学生活が始まったのですね。留学先はどのようなところでしたか?
Ken Walsh先生の直接下に10人以上のポスドクがいて、各自どんどん実験を進めるといった感じでした。半分ぐらいは日本から来たポスドクで皆本当によく働いていました。2013年のボストンマラソンの爆破事件があった時も、日本人ポスドクだけは研究室に来て実験していたような感じです。
製薬企業との接点ができたのは留学期間中ですか?
留学2年目からタケダのニューフロンティアサイエンス(名称部門当時)とWalshラボのコラボが始まりました。私は中核のプロジェクトに携わっており、そこでデータをお互いに見せながらディスカッションをするという、チームで一緒に働いて研究をしていくというスタイルを経験しました。Ken Walshのラボではポスドク同士は仲の良い友人ではありましたが、データを誰が早く出すかといった競争相手でもあったわけです。それとはまったく違った基礎から創薬に結び付けていくチームで働く環境が新鮮に感じました。私には臨床の経験があったので、その実験データに関するディスカッションで臨床からのインプットができました。ちょうどそのころ、次のキャリアを考え始めていて日本のリクルーターの方々から製薬企業で働かないかとLinkedInを通して連絡をいただくようになり、さらに製薬業界というのが身近に感じ始めていました。そこでDDCPの中鉢さんにお話をさせていただきました。留学して4年がたった頃のことです。
そうでしたか。そのような接点があったとはびっくりしました。私がお話をした方が今製薬業界に入って活躍しておられるという事を知るのは本当に感謝です。
中鉢さんといろいろお話をさせていただいたのですが、その中で一点アメリカに残る可能性があるのであれば、グリーンカードに結び付くビザを取らなければいけないとアドバイスをいただきました。またヨーロッパから研究者として来ているパートナーと出会い、USに残ることも考えていましたので、ビザに関してさっそく動かなければと思いました。
よろしければビザについてお話しいただけますか?ふつうポスドクはJ-1ビザで来ているのではないかと思います。
当時J1ビザでしたが、National interest waiver EB2というカテゴリーでグリーンカードを申請しました。こちらはラボにいた台湾人の友人から教えてもらって、それから移民ビザ専門弁護士に相談しました。費用は大体100万円ほどかかりました(註:弁護士に頼むか否か、また弁護士事務所によって費用は異なります)。私が申請したのはオバマ政権時でしたので申請してから7か月でとれましたが、私の夫が申請した時はトランプ政権でしたので約2年かかりました。自分でするともっと安くできるようですが、いろいろ難しいこともあるかと思い、弁護士に頼みました。自分の論文の引用頻度や、著名な先生からの紹介状などを集めて申請します。このカテゴリーのビザはスポンサーがなくてもとれるものでしたが、ビザの状況は変更があるので必ず確認をしてください。
ビザが取れてからの就職活動はスムーズでしたか?
いえ、なかなか難航しました。企業でのキャリアがない立場ですので、Job Postingにある“同様領域での企業経験xxx年”というところでまず外されてしまいます。米国での、アカデミアから企業への初めの就職は厳しいことを痛感しました。結局、第一三共USに勤めていた友人の紹介を得て臨床開発グループのマネージャーと学会等で数回会って話をし、面接に至りました。その後口頭でオファーをいただけたのですが、社内の組織変更などがありなかなか公式のオファーがもらえなかったので、一時は日本への帰国も考えておりました。最終的に、コミュニケーションを取り始めてから正式なオファーをもらうまで1年以上かかりました。
アメリカでは特に推薦、紹介が重視されますから、丸山さんの仕事ぶりをよく知っているご友人が頼りになりましたね。特に会社の組織変更などがあると、オファーがあっても取り消されてしまうこともあります。ところで医局との関係はどうだったですか?
大学との関係は良好のままここまで来ています。学会などでお会いする度に今こんなことをしています、次はこんなことがやりたいですとアップデートをさせていただいております。第一三共に入った時も、また今BMSに入った時も応援してもらえて本当にありがたいと思います。
製薬企業で女性医師が働くことについてどのように感じておられますか?
女性の強みを生かすことができる職種だと思います。チームでの共同作業がたくさんあり、チームをコーディネートしながら一つのことをやり遂げていくのはマルチタスクを得意とする女性に向いていると思います。アメリカで循環器臨床をしようと思うと、USMLEをとったりして一からもう一度となり大きな遠回りをしなければなりません。しかし製薬業界ならば日本で身に付けた循環器専門医も生かすことができます。いままで積み重ねた経験や知識が現場で発揮できますし、さらに新しいことを学び伸ばせるキャリアだと思います。