【インタビュー】近藤泰輔さん
開発は自分のスキルを活かして社会に貢献できる仕事。その業務の一部を紹介します。
今日は臨床開発ジャパンクリニカルリーダーとしての体験談をお聞かせいただけるという事で楽しみにしていますが、まず医薬品開発を選ばれたきっかけをまず教えてください。
患者さんと触れ合う臨床が本来好きなのですが、自分のスキルをいかして社会に貢献できる仕事はなんだろうと考えたときに目に留まったのが医薬品開発の仕事でした。一度仕事を始めると新薬を開発するという重大な使命感・達成感だけでなく、非常に科学的な世界であり、普通の医師では出会えなかった知識に溢れていたのも大変魅力的と思っております。
それでは本題にうつってジャパンクリニカルリーダーとしての体験談をお願いします。
前職は製薬会社としては3社目(開発職としては2社目)でしたが、会社それぞれに組織としてのルールが異なり毎回転職するたびに色々と戸惑う(勉強になる)ことが多いと感じています。当時は、炎症・免疫領域の担当MDのポジションであるJapan senior clinical leaderという役職名でしたが、医師として単にアドバイスする仕事では決してなく(この仕事だけでしたら外部の先生に委託契約できますから社内に不要ですね)、担当した新医薬品の日本の開発計画の立案、日本人症例数・施設数のUS本社チームと交渉、規制当局(PMDA)との新医薬品の治験相談及び交渉、日本国内での治験参加医師及びスタッフへの臨床評価項目などのトレーニングの実施、被験者の安全性モニタリング、治験(国際共同試験及び日本単独試験)に関わる各種書類の作成・レビュー(PMDA相談資料、治験薬概要書、患者説明同意書、プロトコール、検査や機器のマニュアルの日本語訳など)、そして社内メンバーへの担当領域に関する教育(学会に参加した際のFeedbackや各種ガイドラインや疾患の解説)といったことを行っていました。
なんか目が回りそうです。
開発職の経験があるとはいえ、会社が違うとお作法、つまり各種書類のテンプレートや手順(Standard Operating Procedure:SOP)、翻訳作業のルールが異なるので、周りの同僚に一から教えてもらいながらこなしていました。(研修医の頃は先輩医師だけでなく看護師や医療事務、検査技師の方から学ぶことも多かったと思います、それと似た環境ですね)それから大きくGapを感じたのは、前職はいわゆる世界に名だたる大企業だったこともあり、会社の部門のマネジメント層(上層部)からの承認を得る会議体の多さに圧倒されたことです。(直前の会社では開発部門だけで十数名と小規模であり、開発部門長も常に一緒に会議に同席していたので意思統一しやすく家族的な雰囲気もあり、承認を得るような仰々しいシステムは必要ありませんでした、個人的にはこのスタイルが好きですけども)
会社が大きくなればなるほど様々なプロセスを踏まなくてはいけませんよね。
会議の多さは大きい会社に特有かなと思いますが、会議に出席するだけでなく、準備した資料をプレゼンし、質問に的確に答えるには本当に骨が折れます。具体的には、開発職の主な仕事は日本での新医薬品開発計画を立案し、治験を実施して医薬品の承認をとることですから、チームで合意した開発計画とそれに付随する規制当局への相談時期、試験デザインの骨子、必要な日本人症例数などチームを代表してマネジメント層に会議で説明し開発計画の承認を得ていました。
グローバル試験の一部として日本も参加し、そして日本の承認を取るのですね。
もちろん日本人集団と全体集団で一貫性を示すのに必要な日本人症例数などの統計学や治験に関する規制要件などわずかな知識しかありませんから、チームメンバーに教えてもらいながら資料を準備し、いつもお礼を述べていました。(わからないものは、わからないと頭を下げて教えを請いお礼を述べるのは臨床でも同じですよね)
謙虚な態度も大事ですよね
なお、ここでの会議での質問内容は疾患の病態、日本及び諸外国の疫学データ、日本・諸外国での標準的治療や違い、臨床評価方法などのいわゆる医学的内容から、治験デザインの経緯(なぜその用法用量になったのか?血中半減期は?主要評価項目時期の妥当性など)、日本と欧米の承認取得予定時期、競合品は存在するのか?治験にかかるコストは?など多岐に渡りましたので、チームメンバーに助けてもらい冷や汗をかきながら会議を乗り切っていたのをよく覚えています。
この経験から得た教訓はいかがでしょう?
やはり会社に入っても新しい病院に赴任した時と同じように一緒に働き助けてくれる仲間を作るのが最初にやるべき大事なことと思いますし、自分は周りに恵まれていて幸運だったなと感じております。