【インタビュー】今村恭子さん

インタビュアー

今村さんは日本のメディカルアフェアーズ(学術)部門を長くリードされてこられましたが、今日はメディカルアフェアーズにおける医師の役割、そして臨床開発部門との共同作業について雑感を聞かせていただこうと思っています。よろしくお願いします。

今村恭子さん

日本では一般社会の中だけでなく、まだ製薬企業の中でもあまりメディカルアフェアーズの役割がよく知られていないと感じます。私がファイザーに2000年に入社するちょっと前にイギリスから着任した本部長が薬の市販後安全性調査をMRが担当していることを見て激怒し、モニター制度(臨床開発部門のモニターと同様だが、治験品ではなく市販品を対象とする)を作りました。海外から見るとセールスをしているMRがPharmacovigilanceにかかわるというのはコンプライアンス的に大変危険が高いと感じたのだと思います。そして開発と市販後をはっきり分けて市販後のサイエンスにかかわる部分をメディカルアフェアーズとしました。他社ではまだメディカルアフェアーズという部門も持たれていなかったのではないでしょうか。

インタビュアー

日本ではMRさんというのは、一般の医師が一番なじみのある製薬企業の窓口ですね。アメリカではセールスの人は本当に少ないです。MRという呼称もないかもしれません。

今村恭子さん

日本の薬業での商習慣なんでしょうね。医者と製薬会社の関係にMRがかかわり、そこに上下関係ができてしまっていますね。またカルチャーの問題ともとらえることができます。説明会の弁当に見られるような日本の製薬会社のカルチャー、それを期待して当然ととらえる医者のカルチャー、これは一般の社会ではわからない構造、世界だと思います。近年は海外でメディカルサイエンスリエゾン(MSL)が新たな職種として注目されるようになり、日本ではMRが転身してメディカルアフェアーズ所属のMSLとなった。そういった中でのディオバン事件です。

インタビュアー

ディオバン事件とは高血圧治療薬ディオバン (一般名バルサルタン)に関わる 5 つの臨床研究 論文不正事件ですね。

今村恭子さん

ディオバン事件以降は臨床研究法の施行もあって、企業との関わり方に規制が入りました。しかし医師の側に周知されるには時間がかかり、製薬企業側は解釈の仕方などは統計に基づかないとできないので、「昔ならそう言えたけれども、今はそのように結論付けることはできません」と企業側が主張しても理解をしてもらえないなど、問題点はまだまだたくさんあります。

インタビュアー

アメリカではMSLはMDあるいはPhDがほとんどです。セールスとははっきりとした区別があります。

今村恭子さん

日本ではこの間までMRをしていた人がMSLになっています。企業側はそれでよいと考えているかもしれませんが、医者から見れば同じ社員なのでMRとMSLの区別がつかない。これは危険なことです。製薬企業は自社の製品を正しく使ってもらう努力をしなければなりません。そうでなければその製品を市場から撤退しなければならなくなるリスクを背負ってしまいます。

インタビュアー

市場に出すために大変な労力とお金がかかっていますからそれは重大事件です。

今村恭子さん

今まで業界は製品がいったん市場に出てしまうとその後はサイエンスの面ではそれほど力を入れてこなかった。世界市場で日本での発売が遅れるために更なるエビデンス構築に魅力がなくなることもありますが、市販後には添付文書だけでなく、患者用の様々な説明資料もあります。これからは薬のメッセージづくりに処方者、患者、一般市民が相互にかかわっていく方が、業界や医療の世界も健全な方向に変わっていくのではないかと考えています。

インタビュアー

もう少し詳しく聞かせてください。

今村恭子さん

開発というのは患者の秘密保持もあって密室化しやすい世界だと思うんですよ。医薬品開発に患者や市民の声がどのように活かされるかを一般社会の人が知る機会もないと思います。臨床試験(治験)にかかわっている人というのは医者の中でもごく一部です。この新型コロナウイルスの影響でアビガンやremdesivirという承認前の薬が脚光を浴びていますが、一般の人は承認前の薬と市販後の薬に関する違いが分かっていない。なぜすぐに使えないのかと疑問に思っています。

インタビュアー

薬害エイズ、ワクチン訴訟などでも承認時の安全性、リスクベネフィットの説明がきちんと患者さん、一般の方に伝わらないといった感があります。

今村恭子さん

そういったところにメディカルアフェアーズが社会に発信するという役割があるはずなのですが、残念ながら日本にはそういう土壌がまだ育っていない、製薬企業自体もメディカルアフェアーズが何をすべきなのかわかっていないという歯がゆさがあります。

インタビュアー

どのように打破していくべきでしょうか?

今村恭子さん

今では日本の製薬企業大手の開発本部はアメリカにあります。日本でなくアメリカが意思決定権を握っている。アメリカでは開発のクリニカルリードはMDです。日本人医師はそういった製薬大手に入ったらアメリカに行って何か月か何年かそういった開発の現場を経験してみるべきです。そして、開発を経験してからメディカルアフェアーズに来るべきです。開発がある程度わかっていないとメディカルアフェアーズで大きな役割を果たすことができないと思います。開発をしている中で、その薬にどういった役割が期待できるのか、そのためにどういった評価項目を入れて臨床試験をするべきなのか、そういった考え方を身に着けてメディカルアフェアーズに来るともっと広い視野で市販後の戦略を立てることができるようになると思います。

インタビュアー

医師が市販後の戦略に大々的にかかわるのですね。

今村恭子さん

アメリカでは医師は多くの臨床試験(治験)を動かす機会に恵まれていて、おのずとトレーニングを受けています。FDAの方針もあり、患者の声を治験のデザインにどのように生かすべきかを考えています。日本では患者の参加が少なく治験の組み入れも遅い。そのために日本で医薬品の開発が遅れがちになって新薬が市場に出てきにくいという事も社会に知ってほしいことの一つです。もっと患者さんや一般の人に治験のことを学んでもらうことによって、社会の声として製薬企業や処方の構造改革にインパクトを与えていく、そしてそこでは医師が患者さんの声を翻訳して企業に伝えていく役割を担うことができるのではないかと考えています。医師は患者さんを診療する経験を積んでいるので、患者さんの声をより代弁できると思います。そのためにも医師が開発を勉強しなければいけないという事をもっと製薬企業のエグゼクティブに認識してもらいたいですね。

インタビュアー

開発を学ぶ利点というのは企業という場に限られているのでしょうか。アメリカのFDAでは医師が大勢働き、新規薬剤の申請資料を審査しています。

今村恭子さん

日本のPMDAを医師が率いるようになったのは比較的最近で、アメリカより遅れていましたが、その中でも薬のことを扱うのなら医師が必要、医師でなければ務まらないという考え方はかなり定着してきたと思いますよ。ただ、PMDAにももっと医師は必要でしょうね。

インタビュアー

先生は臨床を経験されたのち、製薬企業でキャリアを積まれ、今は東京大学の薬学部の講座を主宰されています。どういった経緯だったのですか?

今村恭子さん

知人で寄付講座を主宰されていた教授が退職され、その後任として受けたわけです。でもせっかくだったらもっと明確な目標を持ってやりたいと思って共同研究講座を作りました。産業界と臨床をつなぐ役割をアカデミアの立場でできるのではないかと考えて、患者が参加しやすいバーチャルトライアルを推進して患者発信型の臨床試験をすることを考えていました。

インタビュアー

Patient engagement, patient centered clinical trialといった動きですね。

今村恭子さん

日本でも最近ではアトピー性皮膚炎などでSNSを使ってかなりの量の画像や情報が患者から発信されています。かといってデータの定義が共有できていないと、それが医薬品開発や市販後臨床試験に有効に活用できない場合もあるかもしれませんね。

インタビュアー

それはなぜでしょう?

今村恭子さん

日本では積極的に試験方法にまで患者が参加する必要性があまりなかったのかもしれません。国民皆保険や高額療養費制度、難病指定など様々な支給や補償が政府から与えられています。新薬の開発には恵まれなくとも生活面では患者ががむしゃらにPMDAや政府と交渉する必要性があまりないのですね。しかしだからこそ、医師が患者さんの話を聞き取って治療の開発に向けての戦略を立てる必要性があるわけです。これはすでに企業に勤務している医師には難しいことかもしれません。当然ながら新しい波を起こしたくないという面もありますが、臨床の現場からそういった必要性を感じて企業に入ってきたり、PMDAに入ってくる若い医師には高いモチベーションが必要です。

インタビュアー

それでは若い医師に一言

今村恭子さん

医者になったら患者を診る臨床だけが将来の自分の道と決めてかからないでほしいです。もっと柔らかい発想で多面的に自分のキャリアを考えても大丈夫だという事を伝えたいですね。診療現場は一人ずつの患者さんを深く診て行きますが、企業では製品を通して世界中の患者さんを診ていくことになります。患者中心の医薬品開発の時代では、さらに様々なところで医師としての知識、経験が社会から必要とされています。