【インタビュー】Mallinckrodt Pharmaceuticals日本法人社長 上田亨司さん

インタビュアー

Mallinckrodt Pharmaceuticals日本法人社長の上田さんにお越しいただきました。

上田さんは、臨床医から製薬開発の道に進み、そこから営業マーケティングの部門トップ、そして今は経営に携われているという、異色の経歴をお持ちです。

上田さんがなぜ臨床医から製薬企業の経営の道へと進まれることになったのか、またそのキャリアにおいて乗り越えてこられた課題や今後目指すところなどをお聞かせください。

まずジェネラルマネージャー(GM)としてどのようなお仕事をなさっているのでしょうか。

上田亨司さん

注力している領域は5つあります。

  • ストラテジー
  • ファイナンス
  • ブランド
  • インテグリティ
  • ピープル&カルチャー

この5つを実行することで社のミッションである「Listening for needs, Delivering solutions」が実現できると思っています。

GMの仕事の業績として評価されるのは財務、販売のところです。

いくら売上を上げて、いくら利益を出してるかという財務のところが会社の業績としては最も大事です。

そして営業・販売というところでは、ブランド戦略を作って実践するというところに力を入れています。

実のところ、私が1番気にしているところは、ピープル&カルチャーです。

いかなる企業文化を作って製品をお客さんに届けるかということがGMとしての自分の役割だと考えています。

ミッションをいかに生きたものとするか、それに賛同してくれて一緒に実現したいと思える職場を作るというのが私の役割です。

インタビュアー

人が育つ組織を作るために、何か実践していることはありますか?

上田亨司さん

毎週自分にとって発見だったことや大事に思ってることをメールやチャットで発信しています。

これは自分たちの組織のトップが何を考えているかを知っているということが、社員にとってとても大事ではないかと考えるからです。

そうすることで、ミドルマネージャーあるいは1番フロントラインにいるメンバーも、それに沿った形で自分たちで考え判断できるという効果があればいいなと思い、続けています。

インタビュアー

現在は代表として経営に携わっている上田さんですが、どのような経緯で臨床医から経営者にキャリアチェンジされたのか、お聞きしてよろしいですか?

上田亨司さん

私のキャリアは9年間臨床医そして臨床開発。

それから、営業マーケティングをして、その後製薬のITを経て今のGMという役割をしているというものです。

臨床医の時は血液内科の診療をしておりまして目の前の患者さんを治療するのが仕事でした。

治験という仕事を経て臨床開発の仕事がいいなと思ってBMSに入りましたのが2006年です。

臨床開発の仕事では、最初は医学専門家の役割から始め、そしてプロジェクトを任され て開発のリーダーということになりました。

当時は日本のローカル開発から世界同時開発へと舵を切ろうとガイドラインが出たところで、今では当たり前になった海外との共同治験ということもこの頃に取り組みました。

インタビュアー

それからマーケティング部門に変わられたのですね?

上田亨司さん

そうです、マーケティングの仕事をすることになりました。

営業とマーケティングについては全く分からなかったのですが、幸いなことに開発していた治療薬のマーケティングの仕事をいただくことができたんですね。

白血病の治療薬だったのですが、製品知識があって疾患領域についての知識もある、誰よりもデータをよく知ってるという環境で新たな仕事に取り組むことができました。

マーケティングということ自体にはスキルが当初なかったわけなんですが、自分の強みを活かして仕事をすることができたわけです。

強みとは何かと言うと、顧客を深く理解する、この領域のインサイトがあるということになります。

マーケティング、営業、それから事業部長を経て、これまでと違うこともしてみようと思って製薬のITに挑戦をしました。

インタビュアー

どういったことを大切にして、キャリアを変えたりシフトしてきてこられたのでしょうか?

上田亨司さん

私にとって、最初の転機だったのはあるグラフを見たのがきっかけです。

多発性骨髄腫の治療予防を年次的に書いたグラフです。

1971年から 2006年までのサバイバルカーブを描いているのですが、1971年から90年代までサバイバルカーブは全く同じなのです。

これが自家移植をするようになって少し治療法のレベルが上がりました。

2000年代になって、サリドマイド・ベルケイド・レブラミドと新薬が登場して大幅に治療効果が上がっている。

治療法を変えたい、新しい治療法を作りたいと思って臨床開発に入ったのですが、この論文が出たのは2008年で、私が製薬メーカーに入ったのは2006年です。

治療法を変えてイノベーションをもたらしているのは、やっぱり製薬メーカーだと思って、自分の進む道に自信を強くしたわけなんです。

インタビュアー

なるほど。

では臨床開発からマーケティングへのキャリアのシフトの時はどういったことに重きをおいておられましたか?

上田亨司さん

個人的な好き嫌い、これが結構関係あるなと思っています。

臨床開発が嫌いっていうわけではないですよ。

非常にやりがいがあって意味もある、面白い仕事だと思ってました。

ただ、私の性格として同じことを2周するのが嫌いなんですね。

しかも待つのがキライ。

例えば、フェーズ3試験を始めました、その結果がでるのが3 年か4年後ですと言われると「待ってられない」と思ってしまうんです。

新しいことを学ぶ方が好きな性分なので、「学習と行動そして結果を出す」そういう仕事を選んできたということです。

インタビュアー

では、マーケティングから事業部長そしてGMまでのキャリアシフトはどういったものだったのですか?

上田亨司さん

事業部長という仕事で大切なのはリーダーシップです。

マーケティングの時のチームメンバーは大体3人ぐらいです。

それが事業部となると20人だったり、あるいは200人だったり規模が変わってくるわけです。

こうなってくると、スキルというものではなく「リーダーシップを磨く」ということが必要だなと感じた、それが転換点です。

事業部長として、うまくいった仕事もあればうまくいかなかった仕事もあります。

うまくいかなかった仕事は何が良くなかったのかというと、「スキルに頼っていた」ということだと気づいたのです。

人と人とを通じて成果を出すのであるから、自分にはリーダーとして振る舞う「リーダーシップを磨く」ということが必要だなと思ったわけです。

リーダーシップの勉強会というものに参加して、「リーダーシップ」は学ぶことができると分かりました。

今ではリーダーシップの勉強会の運営側に入って、ミドル エイジくらいの方たちのリーダーシップを助けるという役割もしています。

1つのライフワークというと言い過ぎですが、仕事と並んで取り組んでいるところです。

インタビュアー

今までと違う分野の仕事に移るときに、どうやって学ぶかアドバイスはありますか?

上田亨司さん

私は飛び込んで行った先で何とかしようというタイプではあるんですが、自分の強みは何なんだろう、できないことは何なんだろうということをまず整理します。

キャリアを変える場合は全く違うところから始めるよりも、もともとある強みを活かしながらの方がいいということも言えますね。

「半分ずらしながら動く」というのが大事です。

医学の知識が生きる職場で新しいスキルを身に付けたら、また次の職場に行けるということになると思うので、2段階あるいは3段階で自分のキャリアを作っていくっていうのが必要なんだろうなと思いますね。

インタビュアー

キャリアにおいて、スキルよりも大切なことはありますか?

上田亨司さん

私自身が重要視しているのは、コンピテンシーです。

より深層にあるところを強くしたいなと思っています。

スキルや知識というのは目で見えますよね。

それよりも、見えないところ。

見えるものを支えている、見えない部分の方が重要ではないかと。

自分自身をどれだけ持ってるか、やる気と成長意欲をどれだけ持ってるかというころが大事ではないかと感じます。

見えるものと見えないものを繋ぐものがコンピテンシーだと私は考えています。

コンピテンシーというのは日本語で言うと「成果を出す行動を導く能力」です。

自分でコンピテンシーとして大事にしているのは4つです。

  • Curiosity
  • Insight
  • Engagement
  • Determination

この4つを合わせて自分が成果をどれだけ出していくか、磨いていくかというところを心がけています。

インタビュアー

興味深いですね。

キャリアを伸ばしていくという点でお考えを聞かせていただけますか?

上田亨司さん

藤原和博さんという方が書いている本があります。

この方がおっしゃるには、キャリアというのは三角形で、この三角形をどれだけ大きく描くかということが大事だということなんです。

キャリアは、まず1歩目の足場を作ってこれは例えば10年かけてやりましょう。

そして10年かけて一通りできるようになったら、次をやろう。

これが2歩目になります。

この2歩目がある程度できるようになったら、次は、もうベースはあるのだから色んなことをやってみましょうとなります。

試行錯誤して、自分に合ってることやあるいは世の中に役に立つことをやってみようと3歩目で大きく踏み出すことができたら、大きな三角形を描くことができるというものです。

私の場合は、

  1. 1歩目は医師として足場を固めて
  2. 2歩目は開発あるいは営業やマーケティングをした
  3. そして3歩目経営というところにグっと今踏み出している

このような「キャリアの三角形」が見えてきます。

インタビュアー

上田さんがキャリアを変える、選ぶ時に大切だと思う考え方を教えていただけますか?

上田亨司さん

自分が大切だと思っている1つの考え方というのが「アンラーニング」というものです。

今までは、「ラーニング」を大切にしてきました。

いかに学んで自分の力を上げていこうかということをやってきました。

その中で「アンラーニング」つまり、学んだことを手放すことが大事だなと考えるようになりました。

目の前の新しい扉を開くためには、後ろの扉を閉じないといけない。

後ろを閉じてから新たなところに行くということが、まず必要ではないかと。

私のやり方は「いったん閉じて新しいチャンスに飛び込む」です。

ここで結構難しいのはネガティブな感情も手放すということです。

これまでやってきたことをやめるっていうのは不安だし、何となくもったいない気もするし寂しい感じもします。

が、ここは意を決して前に進んでいく。

ただ、後ろの扉を閉じると言いましたが戻ってもいいんです。

間違ったら戻ったらいいのです。

私の場合は、医師から開発そして営業マーケティングになる。

そうすると、はじめの仕事と全く違う仕事になっているということになります。

扉を進む。

こういったことに挑戦してみると、藤原和博さんの言う100万分の1の人材に近づいていけるのではないかと、考えるわけです。

インタビュアー

上田さんがキャリアに対してそのような考え方になった原点はどういったところにあるのでしょうか?

上田亨司さん

「患者さんのためにいい結果につながってほしいと願う、医師の努力が報われる働き方を実現したい」と思ったことでしょうか。

医師の時です、くたびれ果てたというほどではないにせよ、疲れている自分がいたなと思います。

心身をすり減らして一生懸命やって、ぐったりしている姿が思い出されるんです。

そんな医師、先生方を助けたいというのが、自分の原点といいますか、1つのモティベーションになっています。

短い時間で同じアウトカムを出すためには生産性を上げないといけません。

革新的な医薬品で医療現場の生産性を向上させることができるのが我々だなと思っています。

患者さんと医師の辛い治療に人間らしさを取り戻したい、これが私の思っている働く原点ですし、振り返ると今のこの仕事に繋がっているんだなと考えています。

この働き方を変えるという自分のミッションを果たすためには、開発に留まらず経営に携わることが必要だったんだと思うわけです。

インタビュアー

なるほど、キャリアチェンジやキャリアシフトをしたとしても、根本的なところは繋がっているのですね。

本日は貴重なお話をありがとうございました。