【インタビュー】大山 尚貢さん
武田薬品工業 ジャパンメディカルオフィスヘッドを務める大山尚貢さんにお越しいただきました。
製薬企業で働こうと考えたきっかけは何でしょうか?
そうですね。
循環器内科をやっていたのですが、当時ほかの国では普通に臨床使用されている、ある抗血小板薬が日本では処方できなかったのです。
そこでdrug lagについて考えさせられたのが最初のきっかけでしょうか。
そしてBrigham & Women’s留学中のボスに製薬もいいんじゃない?と言われたことで背中を押され、アメリカにいる時に製薬企業への転身を決心しました。
ボストンですね。
今お勤めのタケダではマサチューセッツ州・ケンブリッジにオフィスがありますね。
はい、ケンブリッジに出張で行ったとき、臨床応用について思いをはせていた頃を思い出しました。
研究を患者さんのために生かすという点では、今でも変わらないという思いです。
日本でアストラゼネカにお勤めになりましたが、その後、シンガポールでも勤務されていますね。
これはアメリカ留学で感じたこととはまた全く別の異文化体験でした。
でも、日本とは近い。地理的にも文化的にも。
アジアで働くと日本の存在感は大きいです。
日本はマーケットも大きいですし。
上司はイギリス人でしたが、シンガポールでは英語でもシンガポールなまりで話されていますし、日本人でなまりのある英語でも十分通じると感じました。
これは結構自信につながります。
アジアの中ではタイムゾーンもほぼ同じですし、時差の大きいアメリカとの対応に比べるとアジアはやりやすいと感じました。
それからノバルティスに移られて、そこではスイスのバーゼルでの勤務も経験されていますね。
はい。ここではさらに色濃い異文化体験、交流を経験しました。
月曜日にメールをしていたら、私の国では月曜日は休みなんだと言われて驚いたり。
その人は土曜日には普通に仕事をしているんですね。
しかし、あらためて英語の便利さが身に沁みました。
グローバル企業では24時間世界のどこかでプロジェクトチームの誰かがいつも仕事をしていることを感じました。
また、グローバルメディカルで働いてどうやって製薬企業で医師が世界規模でインパクトを与えるかと深く考える機会となりました。
大山さんは製薬企業のいろいろな部門でお仕事をされておられますね。
私はまず安全性から入って、開発を経験し、それから育薬の世界に入ってきました。
育薬を行うメディカルアフェアーズは比較的新しく、日本ではまだここ十数年です。
DDCP代表理事の芹生卓さんが先駆者ですね。
前は病院を訪問する製薬企業の人というとCRA(開発)かMR(セールス、コマーシャル)といった感じでしたが、育薬はコマーシャル部門とは全く違った人がやったほうがいいという認識が日本にも生まれてきました。
莫大なお金をかけても研究開発を始めた薬の万に一つしかマーケットに出ません。
メディカルアフェアーズは販売促進を目的とせず、医療従事者が困っているアンメットメディカルニーズを聞き出し、科学的、医学的エビデンスを生み出し、マーケットに出た医薬品の可能性を実証・探究します。
メディカルアフェアーズを経験されてからまた、開発に戻っておられます。
また開発をしたいなと感じたのです。
前は後期の開発が主でしたが、この時は早期の開発に携わり、First In Human (FIH)試験といって、候補薬品を初めて人に投与するといった緊張感も伴う、でも科学者のロマンにも触れることができました。
製薬にいると臨床とは全く違った経験ができると思います。
それから現職のタケダに来られましたね。
タケダは日本オリジンの中身はグローバル企業です。
先ほども言いましたが、24時間世界のどこかで誰かが仕事をしています。
大山さんにとって医師が製薬企業で働くことの面白さとはどういったことでしょうか。
自分の中心にあるのは科学の重要性です。
臨床を知ったうえで仕事をしているというプライドを持っています。
それから日本語ができるというのはグローバルメディカルで仕事をするうえでメリットですよ。
英語ができるのはグローバル企業では当たり前ですが、そこに日本語ができることによって、日本特有の事情を吸い上げて、グローバルチームにコミュニケーションをとる。
今は国際共同治験が当たり前ですが、全世界の医療事情、ガイドライン、最大公約数で作られたプロトコルに基づいたデータが、日本の臨床現場、日本の医師が見ている患者さんにも本当に当てはまるのか。
メディカルアフェアーズにはそういったことを検討することが求められています。
会社の中の大半は医師ではありません。
そういったところで、医師の視点を主張しながら働くことが面白いと思います。
貴重なお話をありがとうございました。