—なぜ、医師が医薬品開発に必要かー
医学部を卒業し、医師国家試験に合格して研修をし、患者さんを診察、治療する。医師が一般的にたどる道です。患者さんを治療するときに一般の医師が用いるのは、すでに市場に出ている医薬品です。MRさんが来ていろいろ説明してくれますが、それらはすでに売られている医薬品です。時にMRさんが新製品が出ました!と言ってあなたのところに来られることはありませんか?新薬を開発する。それが医薬品開発です。患者さんを診察、治療するときに用いる医薬品、医療機器はどのようにして生まれるのか興味はありませんか?
医薬品を使って患者さんを治療する、生命を守る、生活の質の向上を助ける、これらを主に担っているのは医師です。その使命を果たすために必要な医薬品を開発するのに医師は必要ではないでしょうか?患者さんに本当に必要とされる医薬品を生み出すのに、治療を経験した医師の視点は大変重要だと考えます。
医薬品を生み出す主な役割を担っているのは製薬企業の開発部門です。大学の研究室での素晴らしい研究成果もそのままでは患者さんのもとに届きません。その成分を精製し、動物実験をし、人に使えるような製剤にして、薬局に保管することができるよう安定性を確保し、そして、初めて人に使うのです。まず、健常人、そしてある特定の疾患をもつ患者さんに試してみて、その医薬品の安全性と有効性を確立してゆくのです。
その過程を臨床試験(治験)といいます。治験では最終的に、その医薬品がプラセボ(あるいは既存の医薬品)と比較して、ある特定の疾患の改善度において、医学的見地から見て意味のある有益な差 (clinically important /meaningful difference)を示すことが求められます。そしてそれは統計学的にも有意な差でなければいけません。これが患者さんが体感できる差であることを示すことも、最近ますます必要とされてきている傾向です。患者さんがどれだけ改善したかを示すためには、どういった尺度を用いて測定すべきか、その尺度がどれだけ現場の医師に有用な情報をもたらすのか、実際に患者さんとともに治療を経験したことのある医師が医薬品開発のエキスパートとなり、その治療領域のエキスパートの医師をアドバイザーとして迎え、医師と医師との会話を通じてともに治験のデザインを考える。とてもエキサイティングなことだと感じませんか?
残念ながら、従来より日本の医薬品業界では、医師を医薬品開発のエキスパートとして活用してきませんでした。医師は外部からのアドバイザーとして機能してきたのです。多くは、特定の疾患領域で診療、研究業績の豊富な教授にその治療領域のアドバイザーとなっていただいて、治験のデザインを吟味していただいたり、出てきたデータについて意見をいただいたり、医薬品医療機器総合機構(PMDA)との新薬開発に関する相談に企業側専門家として出席していただいています。もちろん今までそれで新薬は出てきましたし、これからも出てくるでしょう。しかし、医師が医薬品開発のプロジェクトのリーダーとしてフルタイムで積極的に関与すると、医師の視点、さらには患者さんの視点がよりプロジェクトに反映されます。その新薬が治験のデザインを通してどういったメッセージを発信し、他の競合品と差別化していくことができるか日々考えながら、アドバイザーの先生方と議論していく。医師同士の議論ですから深みが出てきます。その治験薬を実際に患者さんに投与する治験責任医師の先生方から質の高いデータが出てくるように、治験デザインを説明したり評価項目のトレーニング教材を作る。これも医師同士のコミュニケーションですので、トレーニングに実感が伴います。治験中の有害事象について安全性部門の医師、サイエンティストと議論をする。その有害事象を実際に観察した医師との会話もスムースにできます。治験が終了すると、データを統計専門家と吟味しながらどのように当局、学会、医学雑誌に提示するか考える。主要な治験が終了すれば、いかに当局の承認をより早く得ることができ、その医薬品を患者さんのもとに届けることができるかを考えながら、膨大な量のデータをわかりやすいパッケージとしてまとめ、当局と交渉する。これは医師にとって、とてもやりがいのある仕事ではないでしょうか?新薬開発を通してアカデミアとの共同作業を行うのもプロジェクトの一環になります。
日本では、多くの製薬企業にまだ医師がいないように見受けられます。医師がいる製薬企業でも、医薬品開発部門に医師がいる企業はかなり限られていると思われます。いても数名でしょう。海外、特に欧米では、製薬企業でフルタイムで医薬品開発に携わっている医師がたくさんいます。アメリカでは、小さなバイオテック企業でも治験が始まれば、ほぼ必ず医師を採用しています。米国の規制当局であるFDA(食品医薬品局)やEUの規制当局であるEMA(欧州医薬品庁)でも医師が活躍していますので、彼らと対等に議論と交渉を行うためには医師が必要だと考えられています。治験のプロトコルやそのレポートを承認するのはその企業の医師であり、その治験の責任者として機能しています。大きなグローバル企業では一つの開発プロジェクトに2,3人医師がいることは普通です。一つの治験ごとに一人の医師が配置されることも珍しいことではありません。まだ企業に入りたての医師は一つのプロトコルを任されたり、そのサポートをします。承認を取ったことのある医師は、企業にとってより重要なプロジェクトのリーダーとなります。承認を取ってその新薬を市場に出すということは、その企業にとって大きな成功です。売るものがなくては企業は立ち行きません。しかしそれだけではありません。医療界においても大きな節目として記憶されることにもなるのです。承認を取れるような開発プロジェクトにかかわれるということは、その医師にとって大変やりがいなあることで、実際に承認をとれた時、それは本当に感激する瞬間です。
医薬品開発はますますグローバル化していきます。治験のプロトコルも一つの国だけではなく、多数の国で共通のものが使われます。日本だけ別試験で行ったとしても、他の国で行った試験のデータを参考に用いることが多くあります。医薬品開発に携わる医師は、国籍に関係なくグローバルに活躍する場が開けてきます。日本にいながら、あるいは欧米、アジアで、あなたの医師としての能力と経験を生かして、新しい医薬品を何万人、何千万人という患者さんに届けること、それは病院、医院で患者さんの治療をし、生命を守り、生活の質を向上することに劣らず、やりがいのあることではないでしょうか。
アメリカで医薬品の開発者になった先輩リケジョが教える「海外で活躍できる理由」
企業内研究者とそれを目指す理工学系生に捧げる『企業研究者のための人生設計ガイド』が、講談社ブルーバックスより発売開始されました。
この本の第3章「企業研究者インタビュー」は、グローバル企業で世界的な活躍をしている女性研究者の本音をたっぷり聞き出していて、全リケジョ必読の内容。今回は特別に、ノヴァン株式会社(米国ノースカロライナ州)のバイスプレジデントにして、医師の資格を有する中鉢知子さんへのインタビューを全文紹介します!